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『魔法つかいプリキュア!』大学生編の叙情性

プリキュアにおける、ひとつの記念碑を見た思いだ。

魔法つかいプリキュア!』49話「さよなら…魔法つかい!奇跡の魔法よ、もう一度!」は大傑作だった。デウスマストとの壮大なスケールの戦いに決着をつけるクライマックスに相応しく、全編見ごたえたっぷり。大胆なカメラワークと豪快なアクションで畳みかけるAパートもすばらしいが、抜きん出ているのはやはり、「大学生になったプリキュア」を初めて正面から描いた後半Bパートだろう。

ここで描かれているのは、言わば「ふつう」に戻ったみらいの健やかな日常だ。

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朝、元気よく家を飛び出し、満員電車に揺られ大学に通う。カタツムリの列車に乗ったり、悠々と「箒」で空を飛んだりすることはない現実的な通学風景だ。大学では真剣に勉学に打ち込み、中学時代からの友人にも自慢されるほどの優等生になっている。そして家に帰るとすぐに家事を手伝う、家族思いで家庭的な娘に早変わり。女子大生・朝比奈みらいはまっすぐ成長し、溌剌とした健康的な毎日を過ごしているように思える。けれど、その健やかさにカメラは寄っていかない。ロングショットを主体とし、前を向いて歩き続けるみらいの足もとを繰り返し捉える。

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このロングショットに潜んでいるのは、一抹の寂しさだ。喋らなくなってしまったモフルン、リコやことは(はーちゃん)の居ない日常を受け入れているように見えても、本当はどう思っているのか。距離をおいたカメラと憂いを帯びた表情によって、心の内が静かに語られていく。

足もとのショットも示唆的だ。前を見て、「未来」に向かって歩く。周りの友人たちもそうだ。けれど、同じ歩幅で歩いていても、少しずつ歩調がちがってきている。同じ道から枝分かれしていくそれぞれの未来。そんな風にも見えてくる。

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だから十六夜の月の下、あのリコと出会った公園の道を歩くみらいの姿は、まるでリコと自分の未来がまだ重なっているかどうか、たしかめるようでもあった。感動的なのは、その「未来」が再び重なり合う象徴として、足もとのショットが繰り返しインサートされていたと明瞭に演出されていることだ。大樹を前に木の棒をかざし、「キュアップ・ラパパ」と唱えても何も起こらない現実を前に一度は打ちひしがれ、「ふつう」の道を歩き出そうとしたみらいが振り返り、小さな奇跡を信じて走り出す大きな一歩。絵コンテのみの参加ではあるが、大塚隆史演出のきらめきを改めて知った思いだった。

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作画やキャストの演技も負けていない。大塚隆史と数々の名場面を作り上げてきた川村敏江を始め、プリキュアの歴史を感じさせる原画陣、キャストでは何といってもみらい役の高橋李依だ。泣きの芝居の最後、「リコに、みんなに……会いたい」というかすれ声の繊細さは、役者の深い思い入れを感じてしまった。台詞回しも憎い。みんなに会いたい、と続けさせて、最後の最後にリコに、と言わせる。リフレインの叙情性が極まった瞬間だ。

個人的に嬉しかったのは、ぴえろ魔法少女シリーズの第3作『魔法のスター マジカルエミ』を彷彿とさせる心情描写が見られたこと。日常からこぼれるわずかな寂しさや切なさを台詞に、情景に、叙情に滲ませる。そして表出する恋しさ、感傷……「魔法を手放した少女のその後」を描いた一編(『蝉時雨』を思い出したファンも多かったのでは)としてもたまらない感慨があったし、そこに漲る緊張感は同種のものだった。もっとも『魔法つかいプリキュア!』は手を放したまま終わらない。もう一度、ぎゅっと手を繋げるアニメだ。「プリキュア」のシンボリックなモチーフであり、本作においては「魔法」を仲介する意味もあるみらいとリコの結ばれた手へと、“飛んで”帰着する構成の美しさ。もしかしたら、シリーズの重要な節目になるのかもしれない。そんな予感さえ漂う、ファンタスティックなエピソードだった。

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