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『けものフレンズ』が積み重ねてきたもの

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固唾を呑んで放送を待っていた『けものフレンズ』最終回「ゆうえんち」。興奮のあまり、本放送後すぐ録画を観直してしまった。

黒いセルリアンに飲み込まれた「かばん」を救出するというハードな展開に絡めた「全員集合」には拳を固く握りしめてしまったし、決戦後の和やかさとコメディ(調整したはずの観覧車が落ちるブラックジョークに一笑い)に安堵した。
ラストシーンも感動的だ。海で初めて会ったフレンズに「おともだちになろうよ」と言うサーバル。素直であたたかみのある、まさに「フレンズ」の精神が詰まった台詞。何の変哲もない平易な言葉が心に響くのは、これまでの積み重ねがあってこそ。そしてそれが『けものフレンズ』のアプローチだ。
サンドスターという未知の物質をはじめ、フレンズの脅威となるセルリアンが跋扈しているなど危険もあり、謎に満ちた世界観だが、縦軸を貫いているのはかばんとサーバル、皆からボスと呼ばれるラッキービーストを加えた3人(あえて「3人」と表記したい)が旅の先々で出会うフレンズと交流し、友情を深めていくストーリー。
かばんはそこで様々な知恵を披露し、みずからのルーツを視聴者に仄めかす。同時に木を上手に登れるようになるという成長(=自立していく)も遂げる。本作の巧みな点は、それをリフレインし、伏線としてしっかり意味を持たせているところだ。たとえば、第1話でかばんが飛ばした紙飛行機。いちばん最初に登場した「ヒトの得意なこと」だったものが、最終話ではサーバルが一生懸命折ったのだろう、ちょっと不恰好ながらもかばんがやったようにセルリアンの目を引き付けるために飛ばし、誘導の決め手になった。もしかしたら、旅の途中に教えてもらっていたのかもしれないが、これは「覚えればできる」フレンズのルールに則った行動でもあるし、共に旅をしてきたサーバルだから思いつき、やれたことだ。火への本能的な恐れまでも克服した、「フレンズがヒトに近づいた証」にもなっている。

 

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つまり、今まで見聞きしてきたものが集約された、かばんの木登りと対の行動だ。だからセルリアンに食べられたかばんが元に戻ったとき、何も失われていないと分かる「食べないでください!」「食べないよ!」という“お約束”のやり取りが泣けるのだ。積み重ねてきたものにちゃんと意味がある――衒いのないシンプルなアプローチ。にもかかわらず、心を強く揺さぶられてしまうのは構成や演出の設計に一本筋が通っているからだろう。

個人的には、回想やカットバックを頻用せずにドラマを盛り上げていく手つきに舌を巻いた。具体的に言おう。セルリアンからかばんのかばん(妙な表現だ)が落ちてサーバルが悲壮な表情を浮かべた瞬間、次のカットはかばんの笑顔のフラッシュバックを予感したし、紙飛行機を飛ばしたサーバルのシーンも同じだ。戦闘の合間に「紙飛行機を折っているサーバルの姿」をインサートし、カットバックする形にすれば、より定型的な演出になるなと思った。そうしなかったのは必要以上に悲劇性を煽らないようにするためだとか、たつき監督の求めるフィルムのテンポ感など様々な理由が考えられる。ただ、一から十まで余さず説明するのではなく、意識的に“抜いた”描き方をすることはたしかだ。想像の余地を残し、過剰に語らない。たぶん、「それで伝わる」と信じて演出しているのだ。視聴者が作り手を信じていたように、作り手も受け手を信頼する。そして、その相互関係を支える心性に『けものフレンズ』のテーマが映り込んでいる気がする。決して優しいだけの世界ではない。セルリアンに食べられた者だっている。しかしだからこそ、「フレンズ」という言葉が特別な響きを持って聞こえてくる。困難は群れで分け合う。アライさんの言う通りなのだ。

 

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木上益治の雨、境界、そして空を見上げる少女の瞳に映る……

「わたし、雨の日は好き。みんなと同じ空を見上げることができるから」

これは『MUNTO』の主人公・ユメミが物語の最初に語るモノローグだ。後に『空を見上げる少女の瞳に映る世界』と改題され、TVシリーズが放送されたことからも分かるように、空を見上げることに込められた意味、そして「雨」という異世界との境界を匂わせる象徴的なモノローグだった。

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小林さんちのメイドラゴン』第6話のラストシーン、土砂降りの雨を眺めてカンナがつぶやく。「わたし、雨好き」。ハッとさせられた。思えば本作も異世界と繋がった少女(ドラゴン基準で)の物語だ。ああ、つまり今回は『MUNTO』の木上益治(三好一郎名義で参加)が描く雨と境界の話だったのか、と。

第6話「お宅訪問!(してないお宅もあります)」はカンナ、トールら「小林さんち」のドラゴンとルコア、ファフニールら「よそんちでお世話になっている」ドラゴンそれぞれのコミュニケーションを主題とし、「水」を効果的な“橋渡し”として用いたエピソードだ。

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たとえば、アバンタイトル。才川とカンナの帰り道。小林さんに買ってもらったのだろう赤いリボンの付いた長靴で水溜りを楽しげに踏み、遊びに行く約束をするカンナ。本編、トールたちに仲介を頼むも、なかなか縮まらない翔太との距離をお風呂で(直接的に)深めようとするルコア。人間を嫌っているのに、雨の中、滝谷と一緒に出掛けるファフニール。どこでも水が媒介となっている。これはじつに「MUNTO的」で「木上チック」だと思った。メタファーも散りばめられ、中でも何度か描写される小林さんちのベランダの手すりにできた水溜りは秀逸。幅広の手すりは分厚い人間とドラゴンの境界を示しているのだろう。そこに少しずつ雨水が滴り、広がった水溜り。ここにも橋が架かっている、と解釈しても面白い。

またいつも以上に粘っこい動きも目を引き、ポージングやカメラワークの設計にもらしさがあった。とくに小林さんがてるてる坊主を吊るすカットは凝っている。まず川、道路という「境界的なもの」を映し、カットを割らず横へPAN。手すりの水溜りを挟み、小林さんちのベランダへカメラを固定。さらに小林さんが立ち上がる芝居に合わせて付けPAN、窓際でてるてる坊主を吊るすまでワンカットという濃い内容だ。

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長い横PANはカメラを振る距離の分だけ「ふつうの世界」と「小林さんち」を隔てる意味があり、付けPANには窓ガラスを人間とドラゴンのフレームとする狙いがあるのだろう。「ソファを越える」という縦の動きも効いている。しかもこの幕間劇は「空を見上げる少女の瞳に映るてるてる坊主」で締め括られるのだから、たまらない。まさしく木上益治のモチーフだ。

もっとも、本作にかぎらず、京都アニメーション作品では雨に関連するモチーフをよく見かける。

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近作に絞ってみても『響け!ユーフォニアム』OPがそうだし、『無彩限のファントム・ワールド』6話など、水溜りから異世界へ飛び込むシーンがあったほど。その視点で見れば、今回の『小林さんちのメイドラゴン』は本家本元によるセルフオマージュと言ってもいいのかもしれない。勿論、そういった意図が作り手にあったのかどうかは知る由もないが、マスター木上によるマスターな仕上がりのフィルムであり、山田さんの「全力で後輩を潰そうとしてるのかと思いました」という言葉(byアニメスタイル007)がふたたび脳裏をよぎるくらい、パワフルな仕事だったことは間違いない。そんな木上益治に「雨とその空を見上げる少女」をいつかまた、描いて欲しい。

 

 

『亜人ちゃんは語りたい』4話の雨と演出

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こんなドラマを作るアニメだとは思っていなかった。

TVアニメ『亜人ちゃんは語りたい』は普通の人間と異なる、ちょっと変わった体質を持つ「亜人」の過ごしている世界を描いた作品。「亜人ちゃん」(デミちゃん)特有の悩みや葛藤を生物教師であり、亜人に強い興味を持つ高橋鉄男が聞き、手探りながらも共に考えていくという物語だ。

第4話「高橋鉄男は守りたい」はこれまでになく踏み込んだ内容だった。亜人ちゃんのひとりである雪女の日下部雪が同級生の女子から陰口を言われ、傷ついているところからスタートする。それに伴ってか、演出もドラマ仕立てでついつい「語りたく」なってしまう。

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冒頭から雰囲気は重苦しい。いつ泣きだしてもおかしくない不穏な曇り空のファーストカット。つづいて映されるのは負のイメージの連鎖だろう、コツンと音を立てる傘の石突。地面スレスレのカメラが嫌な気配を残す、「人を傷つけられるもの」という巧妙な陰口のメタファーだ。ことの深刻さをさり気なく煽っている。

場面はすぐ校内へと移り、張り裂けそうな思いを抱え、生物準備室にやってきた日下部雪の不安を切り取る。このシーンの主役は雨音。カメラは準備室の中に入っているのに降り出した雨音は大きく、「外」の音がする。不在の生物準備室、つまり頼るべき人間のいない心許なさ、ひとり外に放り出された心境を表しているのだろう。カットが切り替わり、雪の放つ冷気に気づいた高橋が近寄ると雨音は屋内のものになるが、「わたしが亜人(デミ)だからですかね!」と雪が叫ぶと、一瞬音が止み、カメラも拒絶されるように外へと出され、ふたたび激しい雨音が耳を打つ。精緻にコントロールされた音の心情演出だ。

そして一旦落ち着き、高橋とサキュバスの数学教師・佐藤早紀絵が食堂で話す場面へ。ここで重要な役目を果たすのは、雨と馴染み深い色とりどりの紫陽花。

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「七変化」と呼ばれるほど花色の変わる紫陽花は、土の酸度によっても色が変化し、さまざまな花言葉を持っている。映像表現の定番として、おそらく紫陽花の色が4人のヒロインに対応し、花言葉も合わせてあるのだと思われる。加えて、亜人が陰口を言われてしまう現在の状況や亜人をとりまく社会環境のアレゴリーを紫陽花の性質に掛けているのかもしれない。大きな胸で高橋に迫る早紀絵のコミカルな一幕もあるが、鋭い茎の切り口からはわずかに悪意が滲み出る。

閉塞感のある流れを打ち破るのはバンパイアの少女・小鳥遊ひかりだ。高橋の入れない女子トイレで陰口を言った同級生2人に直接ぶつかる。ここでもまだ雨音のSEが小さく入っているのがポイント。感情が昂ぶり、ひかりの涙がこぼれるとき、雨音は止むのだ。その涙を受けて止めていたのは妹の小鳥遊ひまり。心に降る雨を受け止める傘、というモンタージュが雨上がりの空と共に浮かび上がる。清々しい作劇だ。

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そこから傘を差していたひまりへとフォーカスを移す構成も自然でいい。後半はいつもの調子に戻ってコメディ色が強くなるが、『僕だけがいない街』風シネスコサイズの画面が登場するなど、演出家の遊びに微笑ましくなるシーンもある。

第4話の絵コンテ/演出を担当したのは、新鋭・石井俊匡。サスペンスフルなドラマの運び、したたかにしのばせるメタファー、定式的な「悲しみの雨」に浸からない演出の数々。ドラマティックなムード作りは精彩に富む。そろそろさすが、と付けて呼んでもいい頃合だろう。さすがは石井俊匡。さらなる飛躍に期待大。